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2008年9月18日〜10月1日 東欧旅行后.Εーン

9月26日 ウィーン六日目 バァッファウ渓谷クルージング ホテルで申し込んでツアーに参加した。この日も非常に寒い。私の風邪はなんとか悪くならず。。 バスで一面葡萄畑を通りクレムスで降り、ドナウ川クルージングを楽しむ。 見るからに日本人のご夫婦が他に一組おられたので話しかけてみた。 「日本からですか?」 「はい。日本のどちらから?」 「宝塚です」 「えっ、私達は西宮なんですよ」 「まぁお隣ですね」ということになり、すっかり意気投合。 H医大の教授でウィーンに学会で来られていた。 バアッファウ渓谷はオーストリアきっての景勝地でここも世界遺産。ゆったり流れるドナウ川の眺めは美しく古城に目が集まる。 ご一緒の席に座って話し込んでとても楽しいひと時をすごしました。 日本語のツアーは英語のツアーより倍以上の値段を取ると教えてもらいました。船内で食事をする人も多い。私達はメルクにおいしいレストランがあるとガイドさんの指示に従って我慢して飲み物だけにしました。奥様と私はコーヒーを飲みすぎているので日本茶、主人達はワイン。後で気づいたのですがワインの方が断然安い。「日本のホテルならタダで付いているティーバックなのに!」と奥様がおっしゃるので大笑い。英国のエディンバラで奥さまの荷物が盗まれて困られたことや「娘がアメリカで住みたいと言うので困っている。見合をさせてもその気になってくれない」とも。我が家の娘はNYで生活をしていることを言うと「よくお許しになられましたね。私達は古いのでしょうか?」と。「許すも許さないも本人が決めたことですから」等々の話。ドナウ川の美しい流れと景色を見ながら・・・。 メルクでやっとおいしい遅い昼食をたべました。 有名なメルク修道院は広くて厳格で威厳に満ちておりました。 ドナウ川の中州にある修道院から見下ろす景色、家々や葡萄畑、ドナウ川の景観は本当に美しいと思いました。 オペラ座前で解散。 昨日のレストランをお教えしてご夫妻ともお別れ。 天満屋で日本食を食べました。 風邪の方もかなり良くなった。 9月27日 ウィーンからプラハ ウィーン西駅でトラブル発生。 待合で主人と私が並んで座っていた。主人の横に大きな荷物の上に手荷物を置いていた。何気に主人が5歩ほど前に歩いた時、私の横の若い男が話しかけてきた。ドイツ語でわからず(英語でも同じ)主人を呼んだ。その男に主人が「なんですか?」と訊ねた。若い男が「NO」と言ったかと思うと逃げ出した。すぐ荷物を見たら手荷物の方が無い! グルになって狙われた。主人が5歩あるいて振り返った時はちゃんと有ったという。 あ〜、列車が入って来た。手荷物の方には取った者には何の値打のもの入っていない。が・・・「警察に行こう。次の列車にする」と決断して駅の警察に行った。事情徴収で1時間ほどかかったが、英語で丁寧に応対してくれた。「大好きなウィーンで・・・」とふたりとも少々気落ちする。フリース2つ・ウインドゥーブレイカー・傘2本・帰りの飛行機の切符と宿泊のコピー・メガネ・旅行ガイド本。私の化粧品の総て。薬の総て。。。主人は薬局へ行って、熱が出た時、咳が止まらない時の薬とビタミン剤。顔に塗るクリームを一つを買ってきてくれました。 3時間遅れの列車でプラハに向かう。 チェコ・プラハ (ロシア語・通貨コルネ) 6時過ぎプラハに着く。 ウィーンから着くとやはりさみしい感じがする。夕方の為ばかりではないと思う。 タクシーにホテルの名前を言って値段を訊いたら5千円ほどと言う。変だ。近いはずなのに。暗くなってから初めての国に入るのはとても嫌だ。まして二十年ほど前は自由化されていない国だから不安だ。案内書を取られてしまったから仕方ない。。。ホテルまで十分ほどだったが五千円ボラれ取られた。 小さなホテルは家庭的な雰囲気があり歓迎してくれたし清潔な感じがいい。近くのイタリア料理店に入ってみたら、日本人もいる。ガイド書に載っているようだ。ピザもスパゲティーもサラダもすこぶる美味しい。 小さなスーパーでせめてお化粧を落とすために普通の石鹸を買う。

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2008年9月18日〜10月1日 東欧旅行検.Εーン 

9月24日  ウィーン四日目 ザルツブルグへ ウィーンから列車で3時間20分、その名も「モーツアルト号」でいきました。 岩塩の輸出で繁栄し、大司教が統治したまち。モーツアルトの生家があるまち。 駅から歩いてまずミラベル宮殿へ。映画「サウンド・オブ・ミュージック」のドレミの歌を歌いながら、マリアと子供たちが遊んだシーンの撮影された舞台になったと案内版がありました。 ザルツァッハ川(塩の川という意味)をシュターツ橋を渡ると、グリース小路に。すぐ前に「モーツアルトの生家」と書かれた黄色い建物がある。天才音楽家の生家は今は博物館として公開されていました。子供のころ使ったピアノや楽譜などが展示されている。 観光客でいっぱいのグリース小路、この建物の前で多くの観光客が記念写真を撮っている。もちろん私達も。 モーアルト広場は、昔ながらの縁日のような出店がいっぱい。メリーゴーランドの馬が本物でちょっとビックリ。大人も子供も「そんなに楽しいの?」と聞きたくなるくらい楽しんでいた。私はピスタチオがいっぱい入ったソフトクリームを買ってもらった。 モーツアルトが洗礼を受けたザルツブルぐ大聖堂。それからそれから「祝祭劇場」。ここは主人の知人が毎年音楽祭に来ていたところ。主人が「音楽祭に来てみたいね」と大きな溜息をひとつ。 それにしても、観光客の多いまちであることよ。 9月25日 ウィーン五日目  市民公園、 王宮シシィミュージアム 市民の憩いの場としてあるこの公園は、とても素晴らしい。リンク内にあるのにこの静けさ、広さ、緑の多さ、花の美しさ、池の清さ。そして音楽家達の多くの記念像。 特筆したいことは道の横にずらりとならんだベンチ。この日は寒かったので市民は出ていなかったけれど、多くの市民がこのベンチに座って緑と花をノンビリたのしむのでしょう。 素晴らしい羨ましい公園を午前中、充分に楽しむ。 バイオリンを奏でる金色のヨハン・シュトラウス像が最も有名であるけれど、この公園のなかで静かに考えているベートーベンの像が私は大好き。いかにも威厳があり苦悩ばかりでないベートーベンの表情がいい。 英国式庭園はやさしい安らぎを感じるし、池で遊ぶ水鳥たちは楽しそう〜。温かければ一日中、本を読んでいたい。 午後からは毎日通う(?)シュテファン寺院・ケルトナー通り。もうウィーンのリンク内の地図が書けるぐらいによく歩いた。毎日、よくまあこんなに観光客が多いものだと感心する。アジアの顔をした団体も多い。日本人の団体かと耳を澄ませばだいたいが中国語でした。服装も日本人団体よりセンス良い服装の団体も多かった。中国の勢いを感じる。 王宮のシシィミュージアムもただただ感心するばかり。彼女の部屋の運動器具やハイネの肖像画。旅行に持って行った食器。シシィが刺されて死んだ時に着ていた服と、凶器になったヤスリの展示もありました。等身大のシュルエットに我が身と比べて溜息。 夕食はタクシーで有名なレストラン・プラフッタに行きターフェルシュピッツを食べました。注文した時、ウエイターが「最もオーソドックス!」って。  食卓にウオーマーと大きな鍋が運ばれ、たっぷりなスープと野菜・大きな肉が入っていました。 まず、スープと野菜をいただいて、次にお肉を取り出してマスタードでいただきます。お皿には別に注文したホウレンソウ等がのってきます。 とてもおいしく、寒い日だったので体も温まりました。

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2008年9月18日〜10月1日 東欧旅行掘.Εーン

2008年 9月23日 ウィーン三日目 シェーンブルン宮殿、聖マルクス墓地、ベルヴェデーレ宮殿、プラター この日もとても寒い。地下鉄でシェーンブルン宮殿に行く。ハプスプルグ家の夏の離宮、といっても広くて建物(バロック建築)も庭園も素晴らしく華麗で立派。 モーツアルトが6歳の時、マリアテレジアの娘、マリーアントワネットにぶつかっり求婚したいう宮殿。ナポレオンが占領時に使用した宮殿。ウィーン会議もこの宮殿。  私が本を読んで前から興味を持っていたエリーザベト皇妃(愛称シシィ)が住んでいた部屋等を日本語のイヤーホーンで説明を受けながら楽しんだ。 シシィのことを少し・・・皇帝フランツ・ヨーゼフと姉のお見合いに一緒に出かけて、皇帝から一目惚れされたシシィは16歳で結婚。彼女は父親が結構自由な性格で乗馬等のびのび育てられたところへウィーンの皇妃になったことで不自由な生活が嫌であった。子供を産んでも自分で育てることが出来ない不満。 姑のひどいイジメがあったといわれているし、また、シシィはとても我儘であったともいわれている。 「人」は見方で全く違う評価されるものだから本当のことや正しいとことは誰にも分からない。 しかしながら、シシィの美貌とスタイルの良さ(身長172僉体重48キロ、ウエスト52僉法Ε札鵐垢領匹機νゲ蹐蔑ち居振る舞いは、誰もが認めることであった。夫のフランツ皇帝からは愛されてやまなかった。 シシィも自分の美しさを十分に知っていて更に磨きをかけるために、運動用具もお風呂もつくっていた。髪を梳かすのに2時間(その間、語学等の勉強)。 詩や文を書いたりするのが大好き(当時、貴族が嫌っていたハイネが大好き)でかなり自立した頭の良い女性であったのは確かです。 息子のルドルフ皇太子が別荘で心中して死んでしまう。その後シシィは黒服しか着なくなり、旅行に明け暮れし、夫ヨーゼフは彼女のために特別列車を作らせた。 レマン湖に行ったときアナキストに刺されて死んでしまう。本人は刺されたことに気付かず、ぶつかられたとだけ思い立ち上がって船に乗船したところで倒れる。 末娘だけは彼女の手で育てられ心を通わせたが、その娘がシシィの死を「母はやっとやすらかな場所に逝ったように思う。だんだん母は自分の世界にだけにはいり込んでいた」と言っている。夫ヨーゼフは嘆き悲しむ。 彼女はハンガリーが好きで「政治のことに口出しはしませんが、ハンガリーの自治は認めて欲しい」と夫に頼んだとも言う。 彼女は今生きていたら「自立した素晴らしい女性」として活躍したでしょう。 地位やお金、美貌、夫からの愛。すべてを手にしていたシシィなのに、自由と存在感がなく心を病んだ。亡くなってからシシィの人気が高まる。 オーストリアは日本の国の面積は四分の一。人口はかなり少ない。が日本の一人頭の所得よりオーストリアの方が多い。大した企業がある訳でない。工業もない。 ただ、観光客で溢れかえっている。 ハプスブルグ家の遺産としてのまち。ヨハンストラウス。そして、なんといってもモーツアルトとシシィの人気。 どちらかといえば、モーツアルトもシシィも生きている間はウィーンの人たちからはウトまれていた。 亡くなってから、この二人が現代のオーストリアの人たちの生活を支えているのも事実。。人間の不思議さを想う。。。 宮殿を出てから馬車でシェーンブルグ宮殿の周りを巡って後、聖マルクス墓地へ。美しい公園のような墓地。 モーツアルトが埋葬されたであろうと言う場所に記念碑がある。 なぜか観光客が誰もいない。手を合わせてきた。 ベルヴェデーレ宮殿。今はオーストリアギャラリーになっている。 クリムト・コレクションがある。フランス式庭園も立派。 地下鉄でプラターへ行く。第3の男で有名な「大観覧車」に乗る。大のつく意味がよく分かった。観覧車が自体がとても大きい。車両のような感じ。ウィーンのまちをゆっくり見下ろした。

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