Monthly Archives: September 2008

1974年の世界一周旅行日記を読んで下さってありがとう。

1974年の旅行日記をやっとブログに写し終えました。 長々とお付き合いし読んで下さってありがとうございました。こころからお礼申し上げます。27歳という若さゆえに出来た旅行だとしみじみ思います。若さゆえの身勝手で未熟な考えや書き方もお許しください。書き写しながら、「よくまぁ・・・」と赤面することも度々でした。が、素直な日記をそのままを載せました。  また、2歳の長女を母と妹に面倒を見てもらいました。娘にも寂しい思いをさせました。みんなにありがとうと今更に感謝です。 日記を写し終えて改めて主人に感謝でいっぱいになりました。 人生を振り返ってこの旅は私にとって大きな財産になっていることに気付きました。  サンフランシスコで会った時にこの日記をつける事と小遣い帳をつける事(知りたい人はいつでもどうぞ)を強く勧めてくれたこともありがとう。この旅行の三ヶ月のマネージメント・毎日の旅の決定、手続き等面倒なことを全部してくれました。感謝です。 苦労と言えば ○ 2歳の娘を日本に預けての旅であったこと。(連れて行くには移動が多すぎで、気温の差も激しい・・・) ○ 34年前はカードという便利なお財布はありません。主人はトラベラーズチェックと現金を腹巻に入れて持ち歩かねばなりません。(写真で主人のお腹が出ているように写っているのはその為です) マネージメントをしっかりしないと三ヶ月の旅が出来ない。節約節約。 ○ 1ドルが300円ほどの時代。(チップを置くのも大変でした)  ○ 毎回のホテル探し(良いホテルに泊まったときに洗濯を!)。 くらいなもの。若さで乗り切れるのが今から思うとスゴイ! 同じ時期に世界の多く国をめぐった旅はとても意義がありました。「どこの国、どのまちが一番良かった?」とよく訊ねていただきましたが、どこの国もどこのまちも「素晴らしい〜」ということです。どこの国の人もやさしく親切でした。それぞれに素晴らしい文化があり、人は精一杯に生きているのですね。地球という星の大切な「人」であって、どこの国だからエライとか特別ものはないのです。そういう当たり前の事を当たり前に感じることが大事なのかも知れません。だから戦争は決してしないで欲しいと思うのです。 時々、今でさえ「日本人は特別なんだ」という意識の人に出会います。そうではないのです。人間として「同じ」なのです。日本人にも「スゴイ人」がおり「ヒドイ人」も居る。どの国もそうなんです。水が豊富で緑の豊かな日本はとても恵まれているのは事実です。 それぞれの国が自国の利益だけを考えないで地球という一つのものとして考えるようになれればどんなにすばらしいことでしょう。 人は歴史からもっと学ばなければならないと思うのですが・・・(現に今も紛争が絶えない)。  帰国して5年目に次女が生まれ、7年目に母が60歳で他界し、主人が会社を退社して独立。(この旅行が会社からの恩恵をうけて出来たことはお伝えしている通りで、深くあつく感謝をしています。そして帰国してからの7年間を企業戦士として主人は充分お返しできたとも思っています。) 最初は私と二人だけの小さな会社も成長し、主人の仕事が認められていくなか、私なりに仕事と子育てと家事との超多忙なン十年を 乗り切れたことは、この旅行にみられる主人のプロデュース能力と行動力(緻密さを含めて)があり、私が「お気楽」性格であったからかもしれません。 お読みいただいて本当にありがとうございました。 明日から、この時に行けなかった国、今行きたい町、ブダペスト、プラハ、ウィーンに行ってきます。 改めてまた旅行記を書きたいと思います。読んでいただけたらうれしいです。          

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私の1974年の世界一周貧乏旅行日記 82

1974年 4月10日 幸治記 皮コートを取りに行き(飛行機の時間の都合あるのに、なかなかできず・・・あゝ)台北まわり大阪行き。JAL。 やっと千果にあえました。 通代80日間。 ボク12ケ月。   通代記 空港に千果と私の両親、妹。主人の母。会社の人たち(この日をどうして知ったの?)が出迎えてくれる。 娘がとびついてきてくれると思っていたのだが母の陰に隠れて私を見ている。 ちょっぴり淋しい。。。パパは忘れられている(1歳半の時にアメリカへ行ったから仕方ないよね)。 母が日本料理をいっぱい作っていてくれた。みんなで食事をするとき、娘はそっと私の傍にきて「まま、おかえりなさい」と言って自ら私の膝に座りにきた。空港でも抱いたけれど、やっと娘に会えた感じがした。「ただいま。帰って来たよ」と抱きしめた。 翌日から、主人は会社。私は疲れがどっと出て熱が出たけれど、すぐに治り元気を取り戻す。

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私の1974年の世界一周貧乏旅行日記 81

1974年 4月9日 香港二日目 幸治記 大買物。といってもめぼしいものなし! 皮コート、お揃い二人分思い切って!  (これがなかなかよし)

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私の1974年の世界一周貧乏旅行日記 80 

1974年 4月8日 香港 幸治記 大混雑のホンコン あゝしんど。 ホテルで税関用の荷物の整理。 九龍と香港と買いもの。買いもの。 天気さほどよくなし。 おかゆと、中華。 振り返って・・・日本が近い! 日記が書けてiない私がいる。あの頃、海外旅行が珍しい時代だから多くの人から「お餞別」たるものをいただきました。旅行中、お土産を買ったつもりでしたが、お返しが全然が足らない。誰々に何々と、頭を痛めた香港でした。この経験からお土産は買わない主義になりました。自分たちには各町でスーベニアスプーン(町の名前が入ったスプーンで町の特徴があり結構おもしろい)があるからそれでいい。スーベニアスプーンが見つからず探し求めて歩いた町もありました。  

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私の1974年の世界一周貧乏旅行日記 79

1974年 4月7日 バリ島二日目 朝、4時半ごろに目がさめる。だのにすっかり明るい太陽。そしてもう起きて泳いでいる人達。。バンガローの部屋の外のテーブルに南国の強い香りの花々と果物が籠に入れて置いてくれている。 のどかな南の島〜♪ パンナムが今日はお休みで困りました。明日乗るガルダーインドネシア・エアーラインの為裏書が欲しいのいです。でも交渉して、ガルダーで後でとってもらうことでOKになりました。 観光タクシーでまずはバリ島の踊りを見に行く。これが狂言風というか筋があって滑稽でおもしろい民族の踊りでした。   グア エレファントというアニミズムの古寺跡。そして神々の社。神社に入るのに綿のスカーフのような腰巻をつける慣わしなど、神々と伝奇の島に恥じないバリ・・・ミソギの水浴びも見ました。多くの儀式(結婚式か)もありました。 スコール(ものすごいのも)ありました。  段々畑もありました。  火山へも入ってみました。 ヤシの木に一面覆われた美しく美しくそして奇怪な島、バリです。  トラックのようなバス。 子供たちは裸足で元気でした。 頭の上に荷をのせて歩く女性達は強い。。。    ちょっとぜいたくをしました。 幸治は年来のアコガレの島でとてもとても幸せを感じていると言います。            明日、最後の外国の地、ホンコンへ向います。  

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