Monthly Archives: July 2008

私の1974年の世界一周貧乏旅行日記 71

1974年 3月30日  タイ・バンコック 一日目 機内で夜を通り過ごす。ニューデリーの空港に寄って、航空ビル内で30分ほど休憩。お土産物をみたが高いので何も買わず、インドのスライド写真だけを見る。 同じ日のお昼にバンコックに到着。33℃。とにかく暑い。蒸し暑い。さわやかなギリシャから来た身には堪える。  観光会社の人につかまって、明日の観光の予約をする。暑いので身動きがとれそうにない。 それでも空港で一番安いホテルを探した。マイアミホテル。リムジンバスに乗って着いてみてビックリ。プールは付いているしバスルームも部屋も広くてすごく清潔。勿論クーラー付き。これが5ドルだとは信じがたいほど素晴らしい。 シャワーで汗を流して夕食のために見つけたレストラン。これが安くて大変においしいー。トム・ヤム・クンというタイスープ、熱いけれど香辛料の効いたエビのスープ。トレビアン! ものすごくおいしい。暑いバンコックで暑いスープ、きっと身体に良いのでしょう。オイシイ〜。 他のものも暑い国だので甘辛い味付け。おいしい〜。やはりアジアの国の食べ物は日本人にオイシイ。  レストランの近くで買い物(主人の好きなミニスカート)。人件費が安いのか、どこでも客より従業員の方が多いくらい。すこしのチップでもすごく喜んでくれる。 暑さと人件費の安さにアジアに来たという実感がする。  

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私の1974年の世界一周貧乏旅行日記 70 

1974年 3月29日  アテネ三日目 今日はアテネ最後の日、ヨーロッパ最後の日になる。 もう一度アテネの宮殿に行こうと思い、何人かの人に道を聞きながら歩く。と、また同じ日航のある場所に出てくる。??  それでも、たどり着いた王宮公園は静かで美しく、オレンジの実がたわわになっている。日航のマスコットガールに取っても良いと教えられていたが、やはり止めた。 日航で随分話し込んでいたので、昼食時間。昨夜の店を探したが、またまた苦労する。やっと見つけて入ると覚えていたらしく、「オー マイフレンド!」と喜んでくれた。「また明日も来て!」 と言うのだけど。。。もうお別れ。 空港に着くとJALのカウンターが見つからず、訊いてみると、まだ時間が早すぎるのでそのうちどこかのカウンターにJALの看板が出るとのこと。 ぶらぶらして、幸治はギリシャの地酒「ウゾ」を飲んでみると言う。匂いがつよく、かなりアルコール度が強いらしい。 空港では1ドラクマの絵葉書がなんと6ドラクマ。万事そんな調子ですべてが高いのにビックリ。   日航のカウンターが出来て、そこで荷物の全チェック。 ギリシャ人の若い男性がとても親切で仲良くなる。彼は仕事の愚痴もこぼしてた。  JALの賑やかな農協?の団体さんと一緒になりチョッと心配だったけれど、その彼が団体さんと離れた席をとっていてくれた。飛行機の中で握手してお別れする。    さようならヨーロッパ! 振り返って・・・ヨーロッパはもう訪れることも無いかもしれない、と34年前のこの時は思いました。 アメリカからロンドンに入って、ヨーロッパの文化に触れた時、カルチャーショックを受けました。アメリカの逞しい力強い大きなエネルギーにもビックリしましたが、ヨーロッパのそれぞれの国々が守ってきた文化・芸術にただただ感激でした。建物や風景の美しさは、私の拙い文では伝えられません。日本も美しい風景や文化を大切にしなければ!と強く思ったことでした。 アメリカは西海岸と東海岸で4時間の時差がある。 ヨーロッパは全部同じ時間を持つ。多くの国がそれぞれの文化を誇りに思い、それぞれに美しい。 今はその時は考えられなかった ユーロ圏が出来たことにうなずけることでもあり、また不思議でもありました。いろんな問題を抱えていますが、それぞれの文化・人を大事にしたユーロ圏が出来上がれば素晴らしいナと思います。(アジアは無理か?)  この秋、34年前に入国することが許されなかった東欧に主人と行く予定をたてています。その頃はベルリンの壁が崩壊するなんて、誰も思わなかったものでした。イギリスが元気の無い時代でもありました。  時代も人も変化するものですね。 人間の英知に期待と少々の不安。  

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私の1974年の世界一周貧乏旅行日記 69

1974年 3月28日 アテネ二日目 今日は一人600ドラクマを払ってエーゲ海のツアーにホテルから参加を申し込んだ。マージンが良いのかとても愛想が良い。 6時半に電話で起こされ、朝食を摂ってバスが迎えに来て港へ。 ‘日曜はだめよ’の舞台になった港、ピレウス。日本人は私達二人だけ。  3時間ほど乗ると、すばらしい島「ヒドラ島」に着く。どう表現したら良いの? JAST BEAUTIFUL! エーゲ海に浮かぶ美しい島。信じられないくらいのエメラルド色の海。 その島のかわいい家々が丘陵に並ぶ。 温かい日差しをあびて野の花がいっぱいに咲き、いかにもノンビリした景色。島の人々は顔が合うとニッコリ笑ってくれるし、たのしい、たのしい〜気分になる島。赤い野生の小さなケシの花もなんともかわいい。                 船内で昼食をとり次はアジナ島へ。再び一人一ドル払ってバスツアーに参加して、頂上にあるポリス跡、アフェアに着く。 これが、これが・・・想像していなかっただけにその遺跡にビックリする。アクアポリスの丘のパンテオンのよく似ている。その昔(14CBC〜4CBC)、アテネと同時にとても栄えたというこの島。そして、ついにアテネとの戦争で破れたという島。この島の存在を知らなかった私達には大変な収穫でした。 6時半に港に到着。 夜、セルフサービスの安くておいしいお店見つかる。

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私の1974年の世界一周貧乏旅行日記 68

1974年 3月27日 ローマからギリシャ・アテネ さようならイタリア、ローマ。古が偲ばれる良い都市でした。「イタリア人には気をつけろ!」と言われていたので注意をしていたけれど、接した人々は陽気で気のいい人たちでした。ただ、あまりにラテン的であるため、日本人の私にはイライラさせられる事も多くありました。船便で要らなくなった衣類を日本に送ろうとしたけれど、郵便局であちらこちらとたらい回しにされ、三日間、どんなに頭を痛め腹立たしく思ったことでしょう。執念の甲斐があって、エアーターミナルの横の郵便しごとをしている事務所で最後の最後、出発する直前に英語の出来る人が居て、やっと送ることが出来た。イタリア人は自分の分からない仕事がくると、たらい回しにする悪い癖がある。そういう意味で情報不足のはなはだしい国でもありました。(個人旅行の大変苦労するところ・・・) でも、いい国でした。必ずまた来ます。 ヨーロッパともお別れする最後の地、ギリシャのアテネに。 飛行機はTWA。久しぶりにアメリカの航空会社、そしてジャンボ機。さすがにTWAのスチュァーデス(言葉が古い!)は親しみ深くテキパキと仕事をするので心地よい。アメリカらしいサービスを受けて、今更にヨーロッパの各地の航空会社には得られなかった安心感みたいなもの、スピーディな仕事ぶりに心安まる気持ちになる。(現在はどうかなぁ? アメリカもサービス良くないし・・・) アテネに着いてルフトハンザの次の便を予約しようとしたら、なんとデリーには水曜日に一便あるだけだという。今日がその水曜日! ルフトハンザの人は日航へ電話してくれてJALの人と相談の結果、インドをとばして明後日にタイのバンコックに行くことにするのが良いのでは! ということになりました。 アテネはその昔、ポリスと呼ばれた都市国家があり、その2500年前の遺跡「アクロポリスの丘」へ行く。日本がまだほら穴生活をしていた頃、この国には政治があったという。(その後、三内丸山遺跡から、日本にもかなり高度な縄文時代がみつかるけれど・・・)この広場を中心にあらゆるまつりごとが行われた。今も残るパルテオンこの建物の前でソクラテスが哲学を説き、その多くのソフィストたちが、その説を語り伝えたのであろうか・・・大学で政治学を勉強した幸治には感慨無量の様子。。。帰りゼウスの神殿からオリンピック競技場に行く。 シシカバブを食べる。

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私の34年前(1974年)の世界一周旅行日記 67

1974年 3月26日 ローマ五日目(ナポリへ) 早朝、ナポリへ向う。ナポリ近くで電車がストップ。 学生達に占拠されたという。 親切な大学の講師か助手だという男性に教えてられて、そこからバスでナポリ市内へ行く。 石畳のガタガタの道とナポリフラッグ(洗濯物)。そして驚いたことに車の多さ。混乱というか、無秩序というかメチャメチャ。今まで見たまちのなかで交通状態最悪の町。。そこここの露天市を見て歩く。   郵便物を出すと、パリと同じで絵葉書一枚づつ切手料金が違う。 おつりの計算すべてメタメタ。絵葉書は届くのかしら?    サンタルチアへ。ベスビオス火山がかすかに霞んで見えた。 「ナポリを見てから死ね」と言われるほどのことは無いように思う。ただし、スパゲティとピザは抜群においしい。実においしい。 ヨーロッパ最後の列車の旅。少々疲れ気味だけれど、親しげな風景(日本的)と親切な人々にはうれしかった。  このイタリア、特にナポリで私のもてたこと! ナポリでは道行く車の男性達が一台一台すべて停まり、口笛を吹いたり投げキッスをくれる。 ウフフ。悪い気分ではない。 幸治記: いや、はい。これにはびっくりしました。 イタリアでは女性はもてる、と話には聞いていたけれど想像以上に通代のもてること。ちょっと一人にしておくと、男共に囲まれて《さわりにくる》んだから。我が女房ながらこんなにモテルとは思っていなかった。少々見直した(他の女性もいたけどそれほどでもなし)。  

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