Monthly Archives: August 2007

ブログをしばらくお休みします。

私の33年前の旅行日記を読んで下さっている方々に厚くお礼申し上げるとともに、ブログをしばらくお休みさせていただくことをお知らせいたします。 私の大事な身内のからだのことで気がかりが大きくなってきて、私が楽しい旅行日記を載せることが辛くなってしまいました。 読んで下さっている人にはありがたく感謝してお詫び申し上げます。         

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私の33年前(1974年)の世界一周旅行日記 55

1974年 3月14日 ニース二日目 銀行ストの為(日本では考えられない)、少々換金に困ってニースの町をウロウロ。カーニバル後の片付け作業がまだ終わっていないニースの町。 トラベラーズチェックでおつりを得る目的もあり、オレンジを買って、私の水着を買って海辺に出る。 紺碧の海。澄んで美しい。砂浜というより小石の浜辺。ビキニ姿もチラホラ、泳いでいる人も何人かいる。太陽はサンサンと輝き、空気がきれい為なのか生まれて間もない太陽のような感じがする。けっこう寒いのに何故泳いでるのだろう?(海の水の温度が高いのかと手をつけてみた。冷たい!) オレンジを食べたり寝転んだりしばらく海の空気を楽しんだ。でも日本の海の磯の匂いがあまりしないの何故なんだろう?    旧市内へ入ると野菜市。細い路地には洗濯物がヒラヒラ。パリで探し求めたフランスの生活の匂いをみつけたうれしさ。 緑豊かな城跡の公園を楽しんでから港へ。ネスカフェのリベリア地方のCMを思い出す。港の海水も澄んでいて底が見える。ゴミ一つ落ちていない。 美しい海と山を背景に、生活の匂いも充分感じられ、私はパリより肌が合う。人々の態度も比べようもなく親切で暖かい。町でみかけた子供達ものびのびしているように思える。素朴さが残っている町。 ニースで絶対に食べたかったブイヤベースもとてもとてもおいしくて満足。

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私の33年前(1974年)の世界一周旅行日記 54

1974年 3月13日 マドリード10日目からニース いよいよスペイン・マドリードとさようなら。午前10時過ぎのイベリア航空のキャンセルを待とうと空港へ行く。が、なんとイベリア航空とエアーフランスとは一日交替でニースの便は一便しかないとのこと。仕方ないので予約していたエアーフランスの便を待つことになった。6時間! そんな時の為に5PTSで買っていたヒマワリの種を食べて時間をつぶす。(私はこの旅に出て分かったことの一つに「種」が好きであるということ。ラテンの国に来てからいろいろな種を食べた。食べるには時間がかかるので、待つ時にはとてもいい) そして紙と鉛筆があれば幸治さんとゲームをして時間を費やす事は簡単。 空港内で幸治さんが手洗いにたち私の傍に帰ってくるところで、アメリカ人とおぼしき人たち六人と話し込んでいる。そして私を手招きして呼ぶ。「スペイン人の女性と結婚しているようだね。どういう生活になるの?」と聞かれて「彼女は日本人だよ、と言っているのだけれど信じてくれない。君から日本人だと答えてよ」とのこと。 私から「I am a Japanese」と言った。それでも相手は「いいや、スペイン人に違いない」というので二人で困ってしまう。のんびりと何時間もヒマワリの種を食べたり、ゲームをして焦る様子のない私たちは日本人に見えないのかもしれない。。そういえば、マドリードに入るとき、例の中華料理店のご主人は「マドリードのどちらにお住まいですか?」とお聞きになった。「今、はじめてのマドリードです」と答えたらびっくりなさっていた。旅慣れと言う感じより、「大和撫子」でなくなっているのかも。 再びフランスへ入国、ニースに着き、8時過ぎ星一つの小さなホテル(ホテル デ ポステ)が見つかる。部屋もきれいだし、オーナーのおじさんもおばさんもいい人で親しみやすい感じで気持ちいい。同じフランスでも大都会のパリとは随分感じが違う。近くの食堂で食べたステーキ、スパゲティーもすこぶるおいしい。  

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私の33年前(1974年)の世界一周旅行日記 53

1974年 3月12日 マドリード九日目 明日、ニースに向うことにした。パリからの写真を中央郵便局に取りに行ったけれど、とうとう今日もダメだった。仕方ないから日数を計算してイタリア・ローマの中央郵便局に転送依頼の手続きをした。(パリの写真屋はちゃんと現像して送ってくれたのだろうか? どこをさ迷っているのだろうか? マドリードの郵便局は間違いなくローマに転送してくれるだろうか?) 幸治さんは昨夜、安いと喜んでワインを飲みすぎて二日酔い。。。スペイン料理にも少し飽きたので、例の中華料理店に行く。幸いにご主人がいらしてお世話になったお礼を述べ、明日この地を離れることを伝える。  ホセアントニオからマイヨール広場、そしてスペイン広場のドンキホーテの像に別れを告げる。予定より少々長く10日間の滞在だったので妙に親しみを覚えたこの町。さようなら。スペインの人たちだけでなく、この旅に出て日本から来られている人たちのやさしさに触れて安らぎを覚えた町(旅をしていてやさしさに接した時のうれしさは格別でした)。さようなら。  庶民の味―カラマレスチンタ(イカ料理)、トルティア(ジャガイモ入りオムレツ)、プルポ(タコ)等々も堪能することができました。 振り返って・・・毎日があわただしい旅の生活であったなかで、10日間のマドリードでの日々は地の人たちのゆったりした生活に合わせて思いのほかのんびりと過ごしました。時間というのは不思議なもので滞在時間が長い分その地を理解して親しみを深める。(時間しか癒せないこころがあり、解決できない事も多い)  スペイン人は髪の毛も黒く背も日本人とあまり差もなくどことなく親しみやすい。   以前に「コメント」で書いたのですが、 1994年にバルセロナに行った時にタラップを降りてその地の「風」を肌で感じた時、前世はこの地で住んでいたのではないか、と感じたという笑い話は、あながち思い込みだけではないかもしれない(笑)。   

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私の33年前(1974年)の世界一周旅行日記 51

1974年 3月 10日 マドリード七日目 (載せる順序が前後が逆になりました) マイヨールの切手市を見て歩いた後、その南の通りで蚤の市を楽しむ。ものすごい人出にびっくり。おみやげ物を探す。確かに安い。しかもそれを値切る、その掛け合いがとてもたのしい。 夕方から闘牛を観る。いい席に当たる。残酷な場面を見るのをためらったけれど・・・。スペインに来て見ないわけにはいかない。トランペット、タンバリンの楽隊を合図にまず闘牛場に数等の闘牛が出されて助手達がマントで牛をからかう。その後闘牛は戻され、一頭が選ばれ出てくる。 ピカドール(名称)が馬にのって出てきて牛の背に長ヤリで突く。背筋に刺し込むのには技術がいるそうで闘牛の力を弱めすぎてもいけない。私は手で顔を覆い、それでも目のところはあけて指の隙間からしっかり観ていた。次に馬に乗った二人のパンデリエロが牛の背中に飾りモリを数本差す。そして最後に一人のマタドールが現われ真っ赤なマントを翻しながら牛を翻弄させる。その美しい姿は感動的。そしてクライマックスを迎え剣で牛を一突き、首うしろから心臓にかけてトドメを刺す。はじめはこわごわ観ていたけれど、マタドールのマントに牛が見事に操られていくうちにだんだん興奮してくる。「優雅で美しい死」を与える事がマタドールの仕事。マタドールがうまくしとめた時の得意げな様子は誇らしげで観客の声援・拍手はすごい。オーレ、オーレと掛け声のかかるマタドールの技術と姿には、さすがにさすがと私でさえ思い切り拍手をおくらずにはいられない。闘牛と闘牛士の戦いの場面は6度ある。思っていた以上にすばらしい。いえ、とても素晴らしい。やはりスペインでは見逃せない。    

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