Monthly Archives: July 2007

私の33年前(1974年)の世界一周旅行日記 52

1974年 3月11日 マドリード八日目 (トレド行き) 久しぶりに朝7時に起きて、アトチャ駅から電車に乗る事2時間近くでトレドに到着。 電車の中はほとんどスペインの人ばかり。日本人は珍しいのかいろいろ話かけられる。言葉を覚える事の速い幸治さんは一週間でかなりのスペイン語を覚えた。が、それでもまだ一週間、話しかけられてもよくは分からない。 飴とかいただいてお礼を述べたり単語を並べたり。。。 トレドはヨーロッパでも最も現存する古い町の一つ。昔の城跡を見ながら町の入り口の古い石の橋を渡ってトレドの町に入る。町を囲む石塀は古代ローマ期からの歴史を伝え、町中の道は幾重にも折れては止まり迷路をつくる。旅人はかっての時代に思いをはせ、道筋に遊ぶ子供たちの光景はおそらく1000年以上前と変わらないだろう。石畳がつらなり朽ちかけた石造りの家々の窓にさんさんとしたスペインの太陽をうけてひるがえる洗濯物もうれしい。死んだような町の中にも生活の息づかいを感じる部分。古い教会、グレコの家など。 赤茶けた丘陵の上に今もひっそりと存在する町―トレド。 遠くに白壁の民家が緑の間に点在してスペインのイメージをもりたてる。 途中の列車の風景―“泰西名画”の一葉のように興奮させる。 土産物店でトレド細工多数買う。トレド細工は金細工の一つで下地に金地、上地に黒いもの(何か知らない)を載せて彫り物を施して下地の金を絵にする。鳥や家紋のような柄が多くて非常に日本的。指輪、イヤリング、ペンダント、カウスボタン等の小物をお土産に買った。それほど安くもなく高くもない感じがいい。 チーペ、チーペと商売上手な親父さんがおもしろい。細工工場の中で買ったものが結局品も良くお買い得だった。    

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私の33年前(1974年)の世界一周旅行日記 50

1974年 3月9日 マドリード六日目 幸治さんは日本へ小包を送るため郵便局へ。二つに分けていた小包が1坩米發任覆い箸い韻覆ぁ△箸いΔ海箸任気蕕忙阿弔吠けさせられたとのこと。荷札すべてがスペイン語の為、見当つかず英語の出来る人が来るまで待ったとか。苦労したみたいでかわいそうでした。しかもさまよっている写真は届いていない。 私といえば午前中気分がすぐれなかったのでゆっくり休んでいた。 3時過ぎに林さんの奥様がホテルに迎えに来てくださって、エル・エスコリアルにドライブにつれて行ってくださった。スペイン独特の高原地帯を抜けて小一時間、小さな避暑地の町、エル・エスコリアルに着く。 サン・ロレンソ大僧院を見学。宮殿であり修道院でありパンテオン。 金ぴかではないが、豪華絢爛。 けれど絵織物に庶民の姿が割りに多くあったのが印象的でした。 またパンテオンにある歴代国王の棺等の立派なことには驚きました。私が今までに見た一番豪華な棺というかお墓です。 その後、スペイン内戦で倒れた人々の霊を祭る「死者の谷」に連れて行っていただく。巨大な十字架と芸術的な岩々をくり抜かれて作られている。この巨大なドームはさすがフランコ独裁政権のなせる仕事だ! ここから東40キロのところにあるセゴビアと言う町は「誰がために鐘は鳴る」の舞台になったところ、はるかに想いをはせる。 夜、林さんのご招待でバラカというスペイン料理店に行く。アンダルシア地方の名物「ガッパチョ」?という冷たい野菜のスープ。カスティアナ地方の料理「パエヤ」というお米を炒め海の幸(ムール貝、イカ、エビ等)を入れ、サフランで黄色く色付けしたピラフに似たもの。お米の芯の硬さを残すのがスペイン風だとか。葡萄酒に果物を入れたおいしいお酒「サングリラ」。 ブタの太ももを塩して雪の中に長く置いて作る「生ハム」等々。本当にすべておいしい。おいし〜い。  学生アルバイトだというスペイン風「流し」も楽しく良かった。 林さんのおかげでこんなに充実したマドリードの一日を過ごす事が出来て、また先日のご自宅のご招待もどんなにかうれしく深く深く感謝です。ありがとうございました。 振り返って・・・「パエリャ」「サングリラ」等は今の日本ではお馴染みの料理ですが、この時初めて口にしました。帰国後我が家でも作りました。黄色い色のサフランは高価で手に入りにくいものでしたが薬屋さんで買う方が手に入りやすかったです。 人のやさしさが何よりのご馳走であることが、今この歳になって更に解ります。林さんとの食事は最高でした。  

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私の33年前(1974年)の世界一周旅行日記 49

1974年 3月8日 マドリード 五日目 すっかりマドリードに慣れた。 特に何するということなくブラブラと街を歩く。郵便局にはパリからの写真はまだ着かない。 私達の写真はどこをさまよっているのだろう。 夕食のセルベシアで蛸を食べる。欧米諸国では食さないタコ。さすがラテン民族はおいしいものはちゃんと食べる。

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私の33年前(1974年)の世界一周旅行日記 48

1974年 3月7日 マドリード四日目 夜のフラメンコを見るためにお昼寝して例の中華料理店で紹介してもらう。日本人のウェイターが夫婦で旅行している事を羨ましがることしきり。 11時半過ぎまで夜の町をうろついて12時半少し前にカフェ・テ・チニタスという店に入る。紹介していただいただけあってとても感じの良いお店。特別良い席。 すばらしいプロポーションの女性の情熱的な踊り。汗まみれに踊るフラメンコ。哀愁を帯びた男性歌手の歌。強烈な手と足のリズム。すばらしい! 私は踊りが大好きなタチ。習いたい! あっという間に時間が経ってしまう。夜中の2時半過ぎにお店を出る。 振り返って・・・ラテンの国の習慣は食事を大変大事にする。前に書いたけれどお昼休みなど12時から3時間、何もかも休んでしまう。銀行も休む。買物している途中でも白い布をかぶせてしまう。日本人である私など慣れるまで目をパチクリしました。家に帰って家族とゆったり食事をし昼寝をするとか。今はどうなのかな?と日記を書きながら懐かしんでいます。前日お伺いした林さんの奥様が「メイドが8月、一ヶ月休むというので始めは他で働くのかしら?と思ったりしたのだけれど、バカンスを楽しむために避暑地で過ごすのよ。日本人の私にはビックリでした。夫は休みもなかなか取れない。日本人は本当によく働くのよね。スペイン人とは対照的。どちらが良いか分からないわ・・・」  同感です。 夜遅くまで遊び、昼休みをたっぶり取り・・・人生を楽しんでいる。その分、その後日本の経済発展はすさまじい。 33年前のスペインはまだフランコの独裁政権でした。ある意味では観光客にとっては大変安全でした。刑罰が重いと罪を犯すのが少ないという論理には疑問を持っている私ですが、ベッドサイドのチップも受け取らないし、盗みもなかった。もちろん私たちを見てお金を持っているように見えないのでしょうが。。。      

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私の33年前(1974年)の世界一周旅行日記 47

1974年 3月6日 マドリード三日目 日本へのお土産を買う事にして出かけた途中で、エアーフランスで11日のニース行きの予約をするつもりだった。なんと11日、12日も満席で13日の、しかも夜の便しかないとのことでビックリ。一応予約はしておいた。そして、イベリア航空にも問い合わせようと公衆電話でTELしたが、たらい回しであちらこちらへとTELしなければならずアタマに来る。小銭が無くなったので後で待っていた男性に譲り小銭に換えてもらおうとした。その人も小銭がなくその代わりにTEL用の銅貨のようなものを一枚くれて、しかも受話器を取って銅貨を入れ先に使うように言ってくれる。少し英語の通じるあまりに親切な人。ありがたい。   何だかんだしていると3時間の昼休みにはいってしまった。お客さんが居ようと居まいが、銀行、デパート、あらゆる店が白い布をかぶせてすみやかに「休憩」に入り閉まってしまう。日本では信じられない光景である。。。マイヨール広場が安そうなので開店まで日なたぼっこして待つ。レザー張りのボトル数本、ペーパーナイフ等々を買い込んで、その帰りに私のバッグまで買う。1210Dtsなり。 急いで洋服を着替えて昨日お電話させていただいた林さん宅へ急ぐ。ケーキのお土産を買って地下鉄で終点まで乗り、親切な女の子に道を教えてもらい、簡単にマンションを見つけることが出来た。エレベーターのところで、林さんの小学生のお嬢さんと息子さんにお会いして案内していただく。何と立派なでゆったりとした部屋。素晴らしい家具、日本に帰ると家が狭いので家具は少ししか持って帰れないとおっしゃっていた。(勿体無いな) 日本の普通のマンションの3~4倍の広さはあるでしょう。各個室にシャワーもついているそうな。。林さんの奥様は私達の為に、刺身、蛸とキュウリの酢の物、ほうれん草のおしたし、茶碗蒸し等々を作ってくださっていた。久しぶりに食べる日本食の家庭の味のおいしいこと! 本当にうれしかった。お話も弾んで12時過ぎまでお邪魔させていただいたく。 しかも、9日の土曜日にドライブにさそっていただいた。本当にありがとうございます。      

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私の33年前(1974年)の世界一周旅行日記 46

1974年 3月5日 マドリード二日目 幸治記: 朝、安い部屋に変わる。これがまた天井ガラス張り、すかし彫り、金ぴかのいい部屋。なんと6ドル。 スペイン広場でドンキホーテ像を訪ね、王宮、マイヨール広場からソル。そしてホセアントニオからプラド美術館へ。 このプラド、やはり聞きしに及ぶすごい美術館である。グレコ、ベラスケス、ルーベンズなどいっぱい。もっともこの辺の絵はあまり好きな方ではないがー。 林さん(主人の会社の人、中井さんのお姉さん)に電話連絡がつく。あした7時半にお伺いさせていただける事になった。 夜、マイヨールの近くの居酒屋で、イカと魚のフライ。オリーブ油料理で好みがあるそうだが、さほどしつこく感ぜず。 安い! 通代、ビールで酔う。もう飲まさない。 ロンドンで買った靴が遂にボロボロ。新しく1189Dts奮発して買う。いかにもスペインタッチのお気に入り。 通代記: スペイン人はお人好し。訊ねられると知らなくても自信満々に返答してしまう。道など訊くと良く分かる。ホセアントニオ通りに帰ろうとした時、方向が分からなくなり通りすがりの人に訊くと親切に教えてくれる。でも、とてもややこしいのでその先でまた訊くようにとジェスチャーたっぷりに教えてくれた。次に水兵さんに訊いた。しばらく考えて、自信たっぷりに反対方向を教えてくれる。???「来たな」っとピンと感じる。警官を見つけて訊くとやはり反対。「道を訊く場合は5人に訊きなさい。そして3人の言った方を選びなさい」と昨日の親切な日本人に教えられていた。おかしくなってくる。  

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私の33年前(1974年)の世界一周旅行日記 45

1974年 3月4日 リスボンからマドリード ロシオから川沿いに西へ歩く。陽だまりの公園で休息。と、急にパラパラとにわか雨。 どこからか魚の焼いているいい匂いがしてきた。引き寄せられるようにして、みすぼらしい食堂に飛び込む。これがすばらしい味の店だった。表はきたない感じだったけれど、中に入ってみればちょっとしたレストラン。魚料理の専門店(?) 久しぶりに焼き魚を食べる。幸治さんはうれしくて仕方ないみたい。おいしい。おいしい。飲んだポルトガルワインは大一本がなんと150円くらい。   食後、町をぶらぶら歩いていると小さなケーブルカーを発見。一人5円払って上ってみると公園だった。良く管理されているし、見晴らし抜群! 思うにリスボン随一。決して大きな公園ではないけれど、まとまりがある。ベンチが鳥カゴに囲まれた風にしてあり、その鳥カゴ風なところにつる薔薇を絡ましてあり、かわいくて私達はとても気に入る。実にすばらしい名もなき公園(私達が知らないだけかも)。  幸治記:  ここリスボンは女と来るべし。それが美人なら最高! 周囲の関心と親切度が違う。 イイ妻を持っているがこんなにイイ感じだったこともめずらしい。 (スミマセン・・・日記に書いています) イベリア航空でスペイン・マドリード入り。機内で偶然前の席に座った一人の日本人男性。とても親切でマドリード在住とか。某社の顧問をしていて(水産関係、スペイン政府とも関係ありそう)、奥さんが中華料理店をやっているという。何かタクラミでも、と考えたけれど親切に甘えるまま、タクシーに同乗させてもらって、その店SUNYAまで行き荷物を預かってもらって‐‐‐実に信じられないくらい親切なのだ‐‐‐ペンション探しをする。(この間数人のスペイン人とやりとりすることになったが、いずれも人なつっこく、とても親切!) ペンションが満杯で一度中華料理店に戻り、その日本人に教えてもらって近くのモナコというホテルにする。ペンションより幾分高めだけれど、部屋はシャンデリアが輝いて、天井は浮き彫り、金色塗料を塗られた壁などちょっとした宮殿風。それでいて、今日は8ドル弱。(明日から6ドルの部屋に変る) いわば豪華。いわば絢爛。スペインの安さは聞いてはいたが、なるほど!    そのSANYAでお礼をかねて夕食をとる。これが中国人の手による中華だが、経営者が日本人というせいか日本人向き。特製スープなど美味なこと、うれしい。 ここの奥さん、もと神戸の人。なつかしい大阪弁まじり、息子たちは大学の医学部。東京の頃は西銀座電通通りあたりに住んだ事があるらしい。妙なところで商業デザインの数氏の名前が出てくる。 親切さこの上なくフラメンコまで手配してくれるという。 ラテンの人々の人なつっこさと親切が印象的。そしてここに住む日本人の親切さはありがたい。

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また、久しぶりになったブログ。

また、前ブログから月日が過ぎてしまった。 いろいろな事がありました。 その一つ、中国旅行に行ってきた。私は始めての国です。33年前は入国できなかった。そして勝手な先入観があったことを素直に反省しています。主人は20年程前の中国に行っていたのでその変化を楽しめました。 詳しいことはまたの機会に書くことがあると思いますが、すさまじい勢いで成長した中国を観てきて良かった。楽しかったです。中国国内はもちろん飛行機の移動。やはり広い国でした。 二人の娘が我が家に帰ってきた。結婚して東京に住む長女とアメリカの大学院で勉強中の次女。 もう、親の出来ることは少ないと実感した一ヶ月。長女は東京へ戻り、次女はソウルで夏休みを韓国語の勉強のため旅立った。 これから先、家族といえど全員が一緒になかなか会えないでしょうが、それぞれの人生を、納得して楽しんで生きていって欲しいと願っています。 とても愛しています。 応援しています。  そして夫婦二人の静かな生活にもどって、改めて人生を振り返ってみました。 主人の仕事の特殊性もあり・・・家族、特に子供達にはいろいろと大変だったナと二人して思いました。 二人の娘に「ありがとう」と感謝の気持ちと、頑張ってくれた主人に「ありがとう」  33年前の世界一周日記のブログもまた続けようと思っています。もう昔むかしの話になってしまいましたが。。  

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