私の33年前(1974年)の世界一周旅行日記 44
1974年 3月3日 リスボン2日目
良いお天気。ぶらぶらと繁華街ロシオから海岸べりを少し歩いてアルファマへ行く。15世紀の家や石だたみの坂道をゆったり歩く。窓際の洗濯ものの干し方は現代離れというか中世というか、ラテン系らしく派手で映画の場面の中に入ってしまった感じがする。アルファマの坂道を登りつめてサンジョルジョ城に行く。ポルトガルの特有の赤黄色いレンガの屋根々と海が一望に見渡せる。緑ゆたかで公園のようだ。町中の屋根の色が同じという珍しさと、その色合いの美しさと、同色の屋根がこんなに美しい景観をもたらすとは!と、 しばらく心奪われる。ファドーの練習風景が見られ、歌声が流れてくる。 あゝこれがポルトガル。リスボン。 
夕食、大衆食堂に入る。 言葉が解らないので、幸治はナプキンに豚と魚の絵を描いて注文した。その絵が人気を集めお店の人以外にお客さんたちも見に来る。みんなにこやかに笑いかけてくれる。人なつっこい人達。 味もおいしく魚は塩ゆで、実に美味。豚はソテーしてくれておいしい。実は二人とも豚の丸焼きが出てきたらどうしょうかと心配した(笑)。私は折り紙で鶴を作ってあげたら、大喜びしてくれた。
昼食時のロシオのカフェテラスで見かけた貧しそうな絵描きのおじさんのことが、何故か心に残る。
振り返って・・・・・「火宅の人」壇一雄が日本を離れポルトガルに住みアミーゴ(一生の友)と書いているのは、とても理解が出来る。どことなく哀愁があり、何よりも人々がやさしく親切で、食事も日本人においしい。しかも気候が良い。 ただ、日本から遠いのが難点。今、私は1ケ月か2ケ月程のんびりとショートステイしたいと思っている。 昔の覇者であった国が、落ち着きと平和と暮らしやすさを得ているように感じる。日本は少し見習う必用があるように思う。経済の発展ばかりに目を向けないで、心豊かにやさしく生きていくことも考えなければ・・・。日本の行き着くところはどうなんだろう?