Monthly Archives: January 2007

私の33年前(1974年)の世界一周旅行 33

1974年 2月20日  アムステルダムからケルンを経てハイデルベルグ 魅力あるアムステルダムを離れ、本格的な鉄道の旅に出る。 風邪気味のため薬を飲んだので眠くて仕方のない私。  オランダの田園風景、風車と羊達のいかにものんびりした景色をたのしみながらもついウトウト。。 ケルンに着き、まず有名なケルン大寺院・・・ゴチック建築の代表的な建物。ゴチックたるゴチックの大寺院は何ともすごい!素敵!  いつもの私の勝手で、森とライン川の映える寺院を想像していた。が、駅のすぐ側。鉄筋の歩道橋に囲まれていてちょっと意外な感じがした。(どうしてこんなに勝手に想像する癖があるのでしょう・・・) それでも寺院のすばらしさには変わりはないし、ライン川は道を隔ててすぐ横を流れる。 ケルン。またの名をコロン。 オゥ・デュ・コロンのふる里。町は意外に新しく日本の都会風。町中をながれるライン川をしばしながめて、また鉄道の旅。船でライン川下りをしたいと思ったのだけれど冬の季節で運行されていなかった。けれども3時間、うつくしい情緒豊かなライン川に沿って走り、それはローレライ歌声が聞こえてくるような世界であり、ハイネの心も偲ばれる美しい流れを見続ける鉄道の旅。崖っぷちの古城がいくつもあり情緒をかもし出している。 そして、そしてハイデルベルグ。二人が見たかったハイデルベルグ。今のところは何もわからない田舎町。明日がたのしみ・・・。  

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私の33年前(1974年)の世界一周旅行 32

1974年 2月19日 アムステルダム三日目 会社等(レポートなど)へ郵送すべきものはしてしまう。 歩いている途中ガイドブック「ヨーロッパ」の本を失っているのに気が付き、探しに帰ると泥にまみれてはいたけれど、ちゃんと置いてくれてあった。が、書いてしまっている4枚の絵ハガキが無い! 本にはさんであったのです。どういう訳なのかしら?と不思議なのです。誰か親切に切手を貼ってポストにいれてくれたのでしょうか?  運河の街、アムステルダムの名物の遊覧船に乗って1時間10分。各国の言葉で説明を受けながら(もちろん、日本語はありませんでした)、うつくしい建物をながめていました。見れば見るほど魅力が溢れる街です。本当に。全く。    お腹が減って、安そうな店で食べた中華風の春巻。おいしかった!!  昨日買った残りの券を使って市電に乗り、アンネの家の見学に行く。 戦争の悲惨さが身にしみる家。当時そのままに残された有名なカラクリ本箱。アンネが自ら雑誌を切り抜いて貼った写真・絵。あまりに、あまりにもリアリティーがあり涙を誘う。可哀想なアンネ。 死を予期した少女の日記を読んで、またアンネが自分で書いたという童話をみても、切なく、うつくしく、つらい。。人種差別のこと戦争・民族虐殺のこと・・・考えこみました。  アンネの家を離れても悲しくて仕方のないわたし。 夕食は昨日につづいて自炊。 透明シチュウ。 ?? 幸治記: 涙ながして日記を書く通代・・・・・。  

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私の33年前(1974年)の世界一周旅行 31

1974年 2月18日 アムステルダム2日目 細長く三両連結された市電に乗り、まず国立美術館へ行った。  ルネッサンス中期の大画家、レンブランドの作品が目的。ヨーロッパの美術館で目につくのが宗教画。私達はあまり興味が無いが、それでもこの美術館の宗教画は今までよりいい感じ。(勝手な事書いて申し訳ありません) 「光と影」のレンブラントの絵にはさすがに他の作品とは、かけ離れた新鮮な素晴らしさ・・・人間性を感じることができる。同じ素材で描かれている人物であったとしても、また光と影を似せてあったとしても、レンブラントとの作品の区別をつけることが素人の私達にもできるような気がするほど、その絵の持つパワーというかすごさというか、やはり偉大!なのです。 美術館のレストランでお隣のテーブルにすわられた年配の日本の男性。「日本のかたですか?」と話しかけてこられた。とても素敵な方で、お話から陶芸の大家らしい。ヨーロッパ各地の美術館へ行っておられる、というより招待されておられる様子。もう70歳に近い(69歳)と言っておられたが、とてもお元気で若々しいのです。昨日はコンサートヘボウで歓声をあげたと少々興奮気味。「長い間、日本語を話していないのでお話出来てうれしい」とおしゃってくださった。 とても素晴らしく人生を生きれおられる人。もう少し年が若ければ・・・と少々残念そうにおっしゃった人。魅力があふれ出ておられる人。 斉藤菊太郎とおっしゃる人物。 お会いできて良かった!  近くにある市立美術館に足を延ばす。ゴッホを観るため。斉藤氏とのお話の中でゴッホのパノラマ的な画法はあまりにも素晴らしいと言っておられた。 そのゴッホ。セザンヌ。シャガール等々とてもうれしくなる。 が、抽象画の部屋ではまるで分からず自分の目と頭を疑ってしまう。一室は絵という絵は、白いペインテングで塗りつぶされているものばかり。一室は娘が描いたような絵ばかり。少し頭が混乱してくる。。私は絵を理解できない人間なのかも。。。 音楽が好きな人には泣いて喜ぶ、コンサートヘボウは外だけ鑑賞することに。勿体無いと思うのだけれど、残念ながら私達二人には、ここで音楽を聴くほどの耳をもっていない・・・千果には是非ここで音楽を楽しめる人になって欲しいと思う。 ソニーのラジオ(幸治がアメリカへ行く時に持って行った)を売ろうと、レンブラント広場にも立ち寄りそのまま歩いてホテル近くまで帰る。その間2・3軒当たってみたがソニーの最高級品だと理解してもらえず、安値を言ってくるので、アムステルダムで売るのをやめる。 私がこの旅行ではじめての自炊。と言ってもパン、ハム、さばの缶詰、スープ、サラダ、と白ワイン。幸治がアメリカで持ち歩いたフォンデューセットのような調理器具しかない。 夜、映画館に入ってみたが、スペイン映画で分からなかった。(オランダ語もわからないのに!無謀だ) 追記: 夕方、カメラをホテルに忘れたので幸治がすぐ近くのホテルに取りに帰っている少しの間、道で待っていると中年のおじさんが寄ってきて「HOW MUCH?」と言うのではじめは解らず「?」という感じの私。しつこいので意味が解りびっくり。すぐ幸治が帰ってきたのでヤレヤレ。 アーぁ ここでは女一人で立っていると商売女とみられるのだ!! 今振り返って・・・斉藤菊太郎さんの事をグーグルで検索してみたら、ちゃんと出てきました。やはりすごいお方だったのですね。  コンサートヘボウは今の私達なら楽しむことが出来るのにと残念です。加齢は楽しむすべも知る・・・二人ともテレビを見ない代わりに音楽やオペラを楽しむことが出来るようになってきました。    

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私の33年前(1974年)の世界一周旅行 30

 1974年 2月17日  ハンブルグからオランダ・アムステルダム 午前中にドイツ一といわれる市立美術館を見学、まずまず。アルスター湖、まずまず。町中にあるので羨ましい。町中にきれいな湖や川が流れているのはとてもいいもの。気持ち癒される。 ハンブルグ、私にとってまずまずの町。ドイツの活気がチラリとうかがえる。  ハンブルグで食べたハンバーガーは、アメリカのハンバーガーとも、日本のハンバーガーとも、イギリスのハンバーガーとも違って、一番おいしくないのはどうしてなのだろう? たまたまその店の味が悪かったのだろうか? さすがにビールはおいしい。おいしい。特にエキスポートという濃い口のビールは抜群でした。(まるで飲める人のようですが、コップ1杯くらいしか飲めません)   ひとまず、ドイツを離れてアムステルダムに。低地の町。町の中を流れる運河にオランダに来た!という実感。ヨーロッパは建物の古さがいい。それにつけてもきらびやかなネオン。ヒッピーの多さ。SEX-SHOP。それから、それから超ミニスカート。魅力溢れている町。男性が楽しいだろう町。。。今の実感。

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ハンブルグまでの写真を載せました。

少ないですが、写真を主人に載せてもらいました。

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私の33年前(1974年)の世界一周旅行 29

1974年 2月16日  デンマーク・コペンハーゲンからドイツ・ハンブルグ 朝食を食べに行った処で、日本人の学生旅行者二人に出会う。コペンハーゲンの物価の高さに驚いていた。また、活気があまり無いと言う・・・北の方から来た私達とは印象が正反対。南へ行く私達はこれからが楽しみである。 飛行機の出発がどういう訳か2時間遅れる。(後で知ることだが、2時間遅れなど問題ではない。定時に出発の方が珍しいとも言える) 乗り込んだらスチワーデスが一人も居ない。初めてです。けれどパーサーは「こんにちわ」と私に日本語などいって愛想がいい。 ドイツに入ると、警戒が厳しく持ち物などのチェックが今までの国とは全然違う。ホテル(レムスタホテル)を決めてから、世界一だといわれる夜の歓楽街、レパーパンに行ってみることにした。ちょっと遠いが歩く、歩く。その間、あまりに静かな町の佇まいなので道を間違えたのかと心配になったけれど、レパーパンはネオンギラギラ。ポルノ映画、雑誌。ストリップ劇場。ゲーム場。大変賑やかでありました。  軽く夕食をとり、有名なビヤホール、ツィラータルの開店7時を待って一人1マルクを払って入る。ビール2分の1ℓ、3.5マルク。(弗50=マルク133.7)   お婆さんがババリー地方の衣装に身をかため大きな財布をぶら下げて客の注文をとる。ババリー地方風の衣装の男性(お爺さん)たちのブラスバンドの演奏を奏でるなかで、久しぶりにダンスを踊る。 かなり疲れてホテルへ帰ってバタン。。  振り返って・・・私達があの頃、若かったのでビヤガーデンでお婆さんやお爺さんに思えたのでしょう。現在の私よりきっと若かったに違いない! 日記といえど、失礼な書き方をしたものだ。 レパーパンは世界一の歓楽街(今はどうか知りませんが)というものの、今の私にあまり記憶にないのはどうしてだろうかと思っています。  

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ヴィクトール・E・フランクル著「夜と霧」を読んで   (みすず書房)

主人から「読んでみたら・・・」と渡された。主人は私に読んで欲しい本は必ずそう言って渡してくれる。私に理解できそうな本だけですが。。世界中で永遠のロングセラーであるこの本なのだそうですが私は知らなかった。一気に読んでしまった。たぶん日本人はそんなに読んでいないと思います。あまりに素晴らしい本だったので多くの人が読まれることをお薦めしたいと思います。(新刊で読みやすく、字も大きい) この本を読む前に私は還暦を迎える年齢になり「死」と言う事について考えていた。母が今の私と同じ年齢で亡くなったからかも知れない。   中学・高校と大学も宗教学校だったから「生・老・病・死」について早くから耳にしてきた。けれど自分から進んで説法を聞いたわけでもないから、耳にしてきたというのが本当の気持ちであると思う。  死は必ず来るもの。生を受け母親から生まれてきた時も覚えていないけれど、渾身の力で産道を通ってこの世にやって来たと思う。死ぬ時もそんなに容易くあの世には逝けないだろう。大変な苦しさがあるかもしれない。痛いのかもしれない。長引くのかもしれない。理不尽な事が起こるのかも知れない。等々思い巡らしてもその時でないと分からない。ただ、それらの事を自分の尊厳を持って精神を持って最後を頑張ろうと考えていた。 この著者は心理学者で、ナチスの強制収容所を体験する。いつ「死」が来ても不思議でない生活を経験する。この本を読む前に主人に「怖い本?」と訊ねた。「残虐な事は書いていない。ただ、経験した事を淡々と書いているだけ。心理学者として書かれている」との返事だった。確かに強制収容所で行なわれたであろう恐怖はもうすでに私が知っている以上のものではなく、実に淡々と書かれている。 そして、人間の崇高さ・生きる力に驚かされる。また、人間の弱さ・浅はかさ・脆さも痛感する。 そして、肝に命じて知っておかなければならない事は、最終的にヒットラーを選んだのは民衆と言うか大衆であるということ。。 少し引用させてもらう。  [ 一人の人間が避けれない運命と、それが引き起こすあらゆる苦しみを甘受する流儀には、きわめて厳しい状況でも、また人生最後の瞬間においても、生を意味深いものにする可能性がゆたかに開かれている。勇敢で、プライドを保ち、無私の精神を持ちつづけたか、あるいは熾烈をきわめた保身のための戦いのなかに人間性を忘れ、あの被収容者の心理を地で行く群れの一匹となりはてたか、苦渋にみちた状況ときびしい運命がもたらした、おのれの真価を発揮する機会を生かしたか、あるいは生かさなかったか。そして「苦悩に値」したか、しなかったか。・・・・たしかにこのような高みにたっすることができたのは、ごく少数の限られた人びとだった。収容所にあっても完全な内なる自由を表明し、苦悩があってこそ可能な価値の実現へと飛躍できたのは、ほんのわずかな人びとだけだったかもしれない。けれども、それがたったひとりだったとしても、人間の内面は外的な運命より強靭なのだということを証明してあまりある。 ]       被収容者側と収容者側の心理はアメリカの学生のある実験(今は禁止されている実験)で明らかにされた心理状況を映像でみたことがある。人間のもろさを怖く思った。 しかし、この本で知ったことは、その両方の立場の中で少数であっても人間らしく崇高で内なる自由を勝ち得た人々が実際にいたという事実。 私はこの本を読んで、いかに単純に死について考えていたかを痛感した。過酷な状況の中で自分が保身に走らず、私は人間性を持ち続ける証明できるかどうか・・・・・。実際、 意識を持つと持たないでは全然違ってくる。。自分への尊厳をもった人のほうが結局は救われる。自分が救うのだ。自分を救う人間でありたい。   私達が生きているのは幸運という偶然の積み重ねの上にあるようだ。有り難い状況の積み重ねの上にある。だから、「ありがとう」の感謝をしみじみ思う年齢になり、抹香臭く感じた若い頃も懐かしく感じられると共に、強い意志で内なる自由と尊厳をもって生きていかねばならないことを痛感した。 そして、だからこそ何事にも囚われず、楽しく感謝して生きていかねばいけないと思う。 偶然の積み重ねを生きているのだから。

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私の33年前(1974年)の世界一周旅行 28

1974年 2月15日 デンマーク・コペンハーゲン2日目 久しぶりにゆっくり寝たあと、近所でまたスモーガーボードの(オープンサンド)を朝食にとる。 チボリ公園はあいにく冬のため閉園。仕方なく市庁舎からストロイエという繁華街を散策しながら楽しむ。コンゲンスニトロフ広場で何か楽しげな音楽が聞こえてくるとおもったら交替に向う衛兵のブラスバンド。その後を着いて軽快な音楽にテンポを合わせながらアマリエンボルグ宮殿に着く。此処で衛兵の交替の儀式を見る。ここもイギリスとはまた違うが、いかにも時代的で楽しくユーモラスである。 ランゲリニエと言う海岸通りのプロムナードを通り、ゲフィオンの噴水、そして、そしてかの有名な人魚の像を海岸に見る。 なぜか悲しげな表情が印象的。つまらないと人は言っていたが、私には詩情あふれる等身大に近いこの像に心惹かれる。素晴らしい。 緑と堀とそこに遊ぶ水鳥達。風車・・・王公園を通りホテルに戻る。  さすがに詩情豊かなデンマークであることを実感する。オフシーズンのためか観光客も本当にまばらで淋しいほどだが、たいして寒くない冬で私達には好都合だ。 JALで航空券の書き換え完了。行き先変更して多くしてもらったがマイル数が足り無料。 夕食に食べた言わばオープンカレー、オープン焼き飯、オープン酢豚、安くてまあまあ。 通りの自動販売機でみかん二つ(1KR)を買う。驚いたことに非常に美味。 明日はドイツ・ハンブルグに向う。 今、振り返ってこの日記を写しながら、オープンカレー、オープン焼き飯、オープン酢豚の意味が分からない。たぶんお店で出来上がって売られていたのを買ってホテルで食べたのだと思う。スカンジナビア三国の物価の高さにまいっている様子が日記から垣間見られて、懐かしい。

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私の33年前(1974年)の世界一周旅行 27

1974年 2月15日 ノールウェイ・オスロからデンマーク・コペンハーゲン 午前中、オスロ市内を歩く、歩く。国立劇場とイプゼンの像! 王宮で衛兵の交替式、イギリスほど仰々しくはないが独特な儀式である。  フログネル公園で無数の裸体像、有名なエロティックな搭も見た。だけれどいやらしさはない。池に群がるな名も知らぬ鳥達とうっすらと雪化粧された公園はとても静か。もちろんこんな季節に観光する人は少ないでしょう。空気が澄み渡っている感じがする。 アケルスクス城を遠くに眺めて空港へ。昨日の経験で昼間にコペンハーゲン入り。 今日は期待通りに機内食が出た。鮭と焼き豚ハム?の上に日本の奈良漬味に似たソース。チーズ等のオープンサンドウィッチは非常に美味しかった。ありがたかった。 オスロはストックホルムよりもいくぶん活気があり物価もやや安く感じた。コペンハーゲンはそのオスロより活気があり、物価もやや安くてほっと一息する気分。夕食に買って帰ったオープンサンドと名物ビールは、これまた良し。 JALの支店で航空券の変更を依頼する。 英語は一般的にはここでも通じない。 今振り返って・・・ノールウェイは次女の相方が高校まで過ごした国。 この旅行の時は次女は生まれていない(旅行の5年後に生まれる)。当然、自分の娘の相方がノールウェイで育ったなんて知る由もなかった。もう一度、良い季節にノールウェイを訪ねてみたいと思う。  

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私の33年前(1974年)の世界一周旅行 26

1974年 2月13日 ストックホルムからオスロ 朝、ホテルでコーヒーとパンを食べた。コンチネンタルと言うから無料だとおもっていたのに14クローネも取られた。 市内を散策、旧市街のふるい石畳の道、入りくんだ湖と薄くはった氷。戯れるおしどり、白鳥、かもめ。野外スケート場の子供達。とてもいいのだけれど言葉が通じない・・・随分と道を間違えたり、私がカメラを落として壊わす。何か事を起せばものすごくお金がかかる。超物価高。アー この国には住めない。いいえ住んでいる人には老後の生活の心配は無くいいのだろうなぁ。清潔だし美しい街であるし。空気も綺麗で清々しい。しかし旅行者には辛い! 人々だって言葉の通じない私達には親しげではない。。淋しい。。夜、飛行機でオスロに向う時、眼下に見えた町の光はまるで宝石のように美しかった。絢爛豪華というのではなく清楚で気持ちまで美しくしてくれるような光がとても素敵だった。 夜9時頃、オスロに着いた。市内までバス。1時間近くホテルを探すが全部満室だと言う。 仕方ない、パスターミナルで一夜を過ごす覚悟を決める。 SAS(バスターミナル)の男性が「どうしたのか?」と訊ねてくれた。彼は友人がホテルを経営しているからと電話してくれ、何とか一部屋見つけてくれた。なんと120KR。もうビックリ。でも仕方なし。。 お腹がすいていたので(飛行機で期待したのだが何も出なかった)レストランを探して町をうろつくが、もう11時。ほとんどのお店は閉まっている。。一軒どこからか歌声が流れて来たので思い切って入った。若者達がビールを飲んでいる。遅いから食事はダメと言われたが一品だけならOKと言うのでメニューを見て安そうな一品を注文した。肉の煮込みとライス。この時、幸治と喧嘩。持ち金が少ないのに私がその一品を注文したから。。お昼もホットドッグ一つだけだった。困った事に私はお腹が空くことはガマンできない。「食べる為に入ったのだ!」私も負けないで言う。 それにつけても出された肉の煮込みとライス、とても、とてもおいしかった。生きている喜びみたいなものを感じた。 ホテルに帰ると疲れ果てて寝る。 追記:ストックホルムの空港でホットドッグの自動販売機があり、2KRを入れると まず紙の箱に入ったパンが出てくる。次に温められたウィンナーがプラスチックの筒に入って落ちてくる。辛子付きで結構おいしかった。 今、振り返って・・・今ならカードという便利なお金があるのですが、33年前は信じられないけれど、無かったのです。オスロでもエディンバラの時も、カードがあればどんなに助かったことでしょう。ちなみにカード会社の宣伝をしているのではありません!      

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私の33年前(1974年)の世界一周旅行 25

1974年 2月12日  ロンドンからストックホルムへ 威厳と格式のロンドンに愛着持ちながらスウェーデンのストックホルムに発ちました。 ロンドンとは時差1時間。バイキングというホテルに一泊することにした。なんと、なんと物価の高い国であることよ。二泊する予定だったけれど、タバコが400円以上+りんご一つと買ったら1000円ほど。。予算の少ない私達にはとても居られないような気分。町もずいぶん小さいようだ。夜のl繁華街はロンドンよりも何故か日本的。5時に終わらない店が多いからかもしれない。 町の人達に英語もあまり通じず、物価ショックで幸治は熱を出し寝込む!!  (もともと英語がダメな私は影響なし) 今、振り返って・・・私達が旅したこの頃はイギリスが元気の無い時代だった。日本からアメリカそしてイギリスに渡たった時に、元気の無さは強く強く印象に残っている。しかし歴史のもつ重厚さ、建物の美しさ、威厳、礼儀、は多くのものを教えてくれているように思う。 またロンドンは雨が多くジェントルマンが傘を持っている姿は当然のことなんだ!  2度目に行った時はイギリスは元気で活気が溢れていた。当然夜の町も5時以降も賑やかになっていた。 後にイギリスの絵本作家で世界的に有名なジョン・バーニンガム氏と懇意になり、彼の家を訪れたり我が家に来たりする仲になった。   そして、スカンジナビア3国。徹底的な社会保障の国の物価の高さは1ドル300円のこの時代、すさまじいと感じる。      

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2007年 明けましておめでとうございます。

お天気の良い穏やかな元旦を迎えました。ベランダから生駒の山々と珍しく和歌山の山々がくっきりみえました。  今年も夫婦二人だけのお正月です。昨年は「長崎さるく博06」を控えて凛とし、緊張した気分でお正月を迎え、初詣にもしっかり成功を祈願しました。今年はお礼のお参りできた事、感謝の気持ちでいっぱいです。近くの売布神社、そして中山寺にお参りしました。穏やかな天候に恵まれて参詣する人も多く、普段静かな町もお正月の雰囲気がいっぱいです。 あまりテレビを見ない我が家は、DVDで楽しみました。 オペラ「サロメ」・・・素晴らしい。主演のキャサリン・マルフィターノの実力!ただひたすら感嘆。感激。 枝雀の落語「くやみ」「親子酒」で初笑い。何度聞いても面白い。借りてきたDVD「博士の愛した数式」なかなかのものだった。寺尾聡の博士が心を爽やかにしてくれた。新春にふさわしい優しい気持ちになる。  平和であって欲しい。。[戦争]・・人が人を殺しあうのは止めにして欲しい。許しあう心と自国(自分)の利益のみを考えないようにして欲しい。お互いの宗教は認め合って欲しい。地球人なんだから。。たった一つの美しい地球なんだから出来るだけ傷付けない・・・難しいことだと理解しつつ、新春に相変わらずそう思うのは私が子供っぽく単純だからでしょうか?  そして、家族みんなの健康と家族がそれぞれ自分らしく生きることが出来ますように・・・と祈る元旦でした。        

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