Monthly Archives: September 2006

私の33年前(1974年)の世界一周旅行 

1974年1月23日 (サンフランシスコへ) ホテルの支払いを済ませ、暑くて美しいホノルル・ハワイを後にして、一路サンフランシスコへと向う。 UAというアメリカ国内線は私以外の日本人は見当たらず、英語ばかりの中で少々不安であったけれど、 [乗ってしまえば、もう こっちのもの!] という主人の言葉を思い出す。 隣の席のおばあさんが心細げな私に話しかけれくれる。うれしいのだけれど、言葉が解らない。 それじゃぁ、私の方から話した方がまだましかな・・・と思い、肌身離さず持っている娘の写真を見せて「私の娘です。2歳になる。彼女の名前は千果です」と中学1年生で習った言葉で何とか言ってみた。「おぅ、なんて可愛い!」と答えてくれ、何となくお互い半分以上解らなくても話をした。 約、5時間。 アメリカ大陸がボ〜と霞んで見えてきた。 隣のおばあさんがサンフランシスコだと教えてくれる。 入り江が鏡のように光っている。ハイウェーの車も見えてきた。 主人に逢える!! なぜか涙がポロポロ溢れた。元気で迎えに来てくれるだろうか? [千果ちゃん、パパとママと逢わせてね]と祈る。 幸治に会うとき私はどんな顔をするのだろう? 大きく可愛くなった千果の事を話そう・・・後は何を話せばいいんだろう?と思いながら飛行機から降りる。 迎えの人々が沢山来ていた。 でも 主人、見当たらず。。。隣のおばあさんは迎えに来ていた夫と抱き合っている!。。。 失望している余裕はない。次の待ち合わせ場所のバッケージクレームの場所へ。 長い長い通路(と感じた)を通り抜けて着いたけれど、夫は見当たらない! 荷物もまだ着いていない・・・とても淋しく不安。。荷物が来たら、次の待ち合わせ場所はJALのカウンター前だ。そこで会えなかったら、夫が泊まっている小さなホテルまで行かなければならない。。大丈夫だろうか? 夫も旅行中でサンフランシスコに着いているはずだけれど、何かあったのだろうか?  ハワイと違ってサンフランシスコの英語はとても速く聞こえて解り難い。    ・・・5分ほどした時「みちよ!」と呼ぶ声に思わず振り返る。 幸治が笑って立っていた! とても元気で!うれしい。涙が出てくる・・・。言葉は出てこない。。 で、でも、夫の格好は な、何?。。。髪は伸び放題でしかも変な毛糸の帽子をすっぽりかぶり、薄汚れたズボンにジャケット、ヒッピーそのものの姿。主人??・・・格好なんてどうでもいい。 元気で向かえに来てくれた!うれしい。 取りあえずバスでパウエルホテルへ。古いホテル。すぐ前にケーブルカーの駅。しかもそこでケーブルカーはターンをする。  日本に電話をする。両親は主人に逢えた事にとても安堵する。千果も元気だという。。ホッとする。 夕食を済ませサンフランシスコの夜の町に出かける。想像以上のあたたかさ、日本の十月の気候より爽やかで、とても今が真冬の1月だとは思えない。そして、サンフランシスコは想像以上に私を快く迎えてくれた。ケーブルカーという情緒豊かな乗り物は、何故か私をうれしくさせる。 まず、ケーブルカーに乗りフィッシャーマウンズへ。坂道を登ったり、降りたり・・・歩いて坂道ばかりのフリスコ(サンフランシスコの愛称)の愛らしい家々を知る。素晴らしい家々。アメリカの人達が住んでみたい癸韻猟、フリスコ。すべてが楽しい坂道の町。幸治と私のフリスコ。 「あのね。千果はずいぶん大きくなったのよ」  

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私の33年前(1974年)の世界一週旅行

サーフライダーホテル。 取りあえずは冬服を脱ぎ身軽になる。 暫くベッドに横になるが眠れそうに無い。 ワイキキを散歩。(今のようにブランド品を売る店が林立していないし日本語が氾濫していなかった) のんびり、青い海と青い空を見ながら・・・(世界の町を周ってハワイは、私の住みたい所の上位にくるのですが、その時の私はただただ、日本に居る娘の事と早く主人に会いたい気持ちが一杯で、ハワイの良さに気付けなかったように思う。 あの光と気持ちの良い風。。。なのに時間を持て余していた。)  海岸をウロウロ散策、そして本を読むくらいで。。 ハワイは一人では面白いとは思ない。しかし、2泊するように主人からの指示。(その頃の私は、ウブで真面目・・・) 夕食のため、レストランに入った。メニューをみてもチンプンカンプンで、主人の指示通り3ドル程度のものを指差し「プリーズ、ディス ワン」 出てきたものは幾種のハムのオードブル。皿一杯。  「ど・どうしょう・・・仕方ない! た、食べよう」で、一生懸命食べた。 懲りた私は次はバイキング形式のレストランを見つけた。人間、経験すれば賢くなるものである。 ちゃんとお店で寝るためのビールも買った。 緊張しながらも、少しづつ慣れてハワイ二日間を乗り切った。 つづく ワイキキの浜辺で

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私の33年前(1974年)の世界一周旅行 

いよいよ、ハワイだ! 日本を経った同じ日の朝に着く。 1974年1月21日 主人からは詳細な指示が手紙で来ていた。 ○3ケ月の旅行といえど、荷物は細い私が簡単に持てる小さいスーツケース一つとハンドバッグ一つにする事。 ○旅行の途中で気候が変わるから、捨てても良いコートを着てくる事。 ○同じ日の朝に着くから一日が長い。機内で寝ておく事。 ○ハワイに近づくと着替えする人が多いが、そのまま着てホテルまでいく事。手には最小限の荷物にする事。 ○入国と荷物の検閲は結構厳しい(赤軍派が海外逃亡していた為)。難問題が発生したら、ハワイ支社に連絡して誰かに来てもらうこと。 ○ホテルまでタクシーは勿体無いので、リムジンにする事。 ○ホテルに着くとドル札をコインに換えてもらう事。ボーイさんにチップ(クオーター)が必要。 ○食事は2・3ドルのものを食べる事。 等々 機内では眠れなかった。娘は泣いていないだろうか?(よく、大声で泣き、私をオロオロさせていた)。病弱な母と妹で大丈夫なんだろうか? 私は英語が殆ど出来ないけれど、大丈夫なんだろうか? (日本の実家で応接セットのガラスのテーブルが何もしていないのに、突然ばりーんと割れた。両親達は私の乗った飛行機が落ちたと思って滅入ったらしい) 空港に着いた!タラップを降りると暖かい風が・・・。ハワイに着いたら、お花のレイをかけてくれると想像していたが、全然無し。(今から思うと笑える) 入国審査では「ハワイから日本に帰るのか?」 「いいえ、サンフランシスコに行く」 「サンフランシスコがら日本へ帰るのか?」 「サンフランシスコで主人と会ってNYへ行き、ヨーロッパ・アジア・オーストラリアに行ってから日本に帰る」 「切符を見せて・・・ワンダフル!」で通過。 よくまぁ、単語並べただけで理解してくれたとビックリする。 荷物を受け取り、検査に並んだ。誰も並んでいない隣のレーンで検査官が私に手招きする。 「?」と思いながら行く。荷物を開けようとする私に、ニッコリ笑って「OK」と通してくれる。思い切り「サンキュウ」と礼を言い通過。 リムジンを探してホテル名を言い「OK」 ヤレヤレ。。。。 その頃、日本人でもお金持ちの新婚さんがハワイに行ってた。 主人の指示に従って、冬服のまま、しかもコートまで着てる私は奇怪な感じがしたのでしょう。 「すごい格好ですね」「日本は雪が降って寒かったんですよ」と答えた私。 後で、バカだなぁ 「これから世界を周るんです」って答えればヨカッタ!と。。。    立派なホテルだった。指示通り宿泊手続きとドル札をコインに換えてもらう。(一応英語で言う) 部屋はキングサイズのベッドが二つで広い・・・余計に淋しく感じたがこの旅行で最初で最後の豪華なホテルであったと後で知ることとなる。       つづく

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私の33年前(1974年)の世界一周旅行  

1974年1月21日 いよいよ、出発の日になった。一週間前から実家に行った。妹夫婦もきてくれた。 かなりデリケートな2歳半の娘は、何かを察知している。。その上で、何も言わず時々じぃーっと私を見つめている。抱きしめるか出来なかった。「ママはね、旅行にいくけど、元気でいててね。待っててね」と。 出かける時間になった。機嫌良く、母と妹と遊んでいる。「じゃーね」と娘と母と妹に言う。心配そうな母達も「じゃーね」と返事。 父が空港まで、車で送ってくれる。何も話せない父。。。空港に着くや否や車を止め荷物を降ろし「いってらっしゃい。」とそそくさと私を降ろす。 「??」私の乗る飛行機の搭乗手続きはずぅーと先なんです。父は私との別れが辛いのだろう・・・「じゃー行ってきます。千果のことよろしくお願いします」と思い切りの笑顔で言う。。。内心不安と緊張!! 搭乗手続きはチケットの分厚さにビックリされる。大まかに主な世界の都市に取りあえずは行く事になっている。。。 友人が一人見送りに来てくれた。不安の中、嬉しかった。なんせ、飛行機に乗るのも初めて・・・取りあえずは東京羽田へ向う。 羽田には、中学・高校の時からの親友が夫婦で来てくれていて、ご馳走になった。 緊張しているだろうからと、ワインを勧めてくれました。飲めない私ですが飲みたい気分でいただいた。 気持ちが楽になって、最終搭乗キリキリまで話し込んでしまった。その後、走った。走った。また、搭乗口が遠い。最後の搭乗者! 旅の始めから・・・先が思いやられる。。つづく

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私の33年前(1974年)の世界一周旅行

我が社は8月決算で、私は経理の仕事している。 で、一応忙しい?。。でも一段落したので、少しづつブログも書いていきます。 正確には32.8ケ月前に、私は主人と3ケ月の世界一周をした。 今の時代のように誰でも簡単に自由に海外へ行けるようになるなんて思いも出来なかった。当時は海外旅行そのものが珍しかった。まして、ツァーではなく、二人きりで足の向くまま気の向くままの旅は信じられないような冒険でした。 1ドル300円。日本は石油ショックの年でした。(何故かトイレットペーパーが無くなるという噂に主婦達の買いあさりで大変な事でした) 娘のブログで私達の旅行が上手に書かれていた。が、それはそれは大変でした。 お金持ちでない、27歳の夫婦と1歳半の娘のつつましい生活の中での出来事。。。 その頃、主人は大手広告代理店に勤務していて、海外留学制度(試験にパスした)でアメリカの大学院に1年留学することになった。 主人も海外は始めて。私達のまわりに海外留学した人も居ない。 主人の出発には「お餞別」たるものをいただき、大勢で見送りしていただきました。 娘と二人の生活に、主人は毎日絵葉書や手紙を書いて送ってくれたので、安堵した気持ちで毎日を送っておりました。 1年の留学が終わる頃、会社から世界を周ってくる事も許されました。 留学中も海外出張手当が出ていて(私の方には基本給のみ)、主人はケチケチ生活をしてお金を貯めて 私に送ってきてくれました。「女性が海外旅行に出る機会が少ないから、是非決心して一緒に世界を観て周ろう」と。 その当時、石油ショックもあり、ラウンドチケットが80万円!! 私の生活は4万円ほどでビックリしました。 第一に2歳半になった娘が居る。とても繊細な娘を3ケ月も預けて海外旅行に出るなんて・・・娘も一緒にと考えもしましたが、毎日が旅。温度の差も激しい。。。 悩み苦しみ苦渋の中で、それでも好奇心が優先して、妹夫婦と身体の弱い母へ無理を言って預かってもらうことになりました。 「ママは、今より広い目と心を持って帰ってくるから・・・」とまだ理解できないであろう幼子に言いながら陰で涙を流すことが度々でした。 第二に私自身、英語が話せない。飛行機も初めて。なのに主人はハワイにも寄ってくるようにと指示している。 大丈夫かという不安。私の両親の不安。。。 エエィ!何とかなる! で出発。   つづく

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久しぶりのブログ

長い一年以上空白のブログでした。 その間、色々なことがありました。 昨年の9月、次女が台湾からまたUSAのジョウジワシントン大学院博士課程(国際政治学)へ進学しました。11月には当然、主人と娘に会いにワシントンDCに行きまして、メキシコまで足を延しました。 2年以上預かっていた愛猫、ハチは元の浜松の家に・・・1ケ月ほどは何故か涙が。。。 そして、主人がプロデュースしている「長崎さるく博06」も4月から始まり5ヶ月が経った。とても順調。長崎市はフィーバーしている。ありがたいことです。 この夏に近くのマンションに引越しました(旧宅は主人がクリエイトするために使用する予定)。マンション生活は非常に満足しています(全面リフォームは大変でした)。 またこの夏、夫婦揃って還暦を迎えました。で、年金がいただけるようになりました。 書いていくと一年の間に多くの変化があり驚きます。 見る人も居ないだろうし、億劫になったりで・・・。 それでも時々コメントを下さる人もありました。残念ながら、このブログは今コメントが出来ない設定になっているようです。また、コメント出来るようにとも思っています。 アメリカの大学院にいっている娘が3月ごろから3ケ月ほど、アルバイトでブログを書いていた。 彼女の生活ぶりや考え方がイキイキと伝わって読むのが楽しみだった。 そうはいかない私は老化予防で文を書こ〜う。楽しも〜う。 先日、その娘が私達夫婦の「33年前の世界一周旅行」と題して、自分のブログに載せていた。 暇暇にその時33年前の日記でも書いてみよう、再発見する楽しみがあると思う。

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